先日、池袋のメトロポリタンにて博文会総会・講演会が盛大に催され、500人を超える後援者の方々に集まっていただきました。
講演会では、改めて私自身が何故国会議員に立候補したのか、国会議員として何をしようと思っているのかをお話させていただきました。また、これまで講演のテーマを「日本のアイデンティティ」として、お話させていただく機会がありましたが、今回はイギリスにおける教育改革を基に説明して行きたいと思います。
イギリスという国は、地理や政体において日本と似通っていると思われる部分が多々あるように思います。教育に関しても、第二次世界大戦中の1944年に労働党政府主導で、戦後を見越した教育に関する基本的な「教育法」が制定されました。これは、教育の機会均等化を進めるとともに、帝国主義や他国家、他民族に対する偏見を取り除き、多文化の理解を深める目的としたもので、
① 児童の権利を尊重する人権教育の推進
② イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進
③ 教師の自主性を尊重する教育行政の確立
が行われていました。しかしながら、この法律は制限なき自由や偏向した教育を助長させ、学校教育の現場において混乱を招き、その結果「イギリス病」の原因にもつながります。イギリス病とは、イギリス経済の長期停滞状況によって国民が希望を見出せず、労働意欲や向上心も無い状態に陥り、それが更に経済や社会全体の活力を奪ってしまい悪循環を起こしてしまう現象です。
これに対して、サッチャー政権(保守党)は、1988年に改革の一環として「教育改革法」を制定します。
① 国が何を教えるかを決定
② 国定カリキュラムの導入
③ 全国共通試験の実施(7歳、11歳、14歳、16歳の4回)
④ 「キリスト教」教育を必修とする
この改正法は、学校教育に対する国家の責任と権限の明確化をテーマにしており、小・中学生(11歳から14歳)に対する歴史教科書の描かれ方も変わります。
例えば、それまで(1944年教育法)は、植民地支配に対して、自国を醜く貪欲な象徴として太った豚に例え、アジアやアフリカを次々に搾取することで財を成すという「イギリスの繁栄は植民地の多くの人々の犠牲の上に成り立っていた」と描かれています。これが1988年の教育改革法によって、植民地支配はイギリスだけでなく、他のヨーロッパ諸国も行ったということが客観的に描かれ、その中で「イギリスはあらゆる植民地に対して鉄道を敷設する」など、一定の良い結果がもたらされた部分もあることに触れています。
奴隷貿易に対しても、自国によって鉄球につながれ逃げられない黒人奴隷の悲痛な運命を描き、鉄道建設に強制労働を課せられた奴隷は、あくまで「白人資本家達がビジネスを展開する為だけに作られた」と強調していました。しかし、改革後においては、植民地支配の問題と同様に、イギリスを含めた列強諸国も同様に奴隷貿易を行った「世界史の悲劇」として描き、アフリカにおいて奴隷とされた人々は、そのアフリカにおいても土候の圧政に苦しめられ、残虐な統治下にあったという実態も描かれています。また、リンカーンが「奴隷解放宣言」を出した1863年よりも早い1807年の段階で既にイギリスは奴隷貿易を廃止しており、奴隷解放の旗振り役であったことを述べています。
この教育改革の流れを受けた1997年には、労働党のブレア政権下で「子育て命令法」が制定されます。この法は、子供を非行や犯罪から守るのは国家でも、社会でも、学校でもなく、まず何より親であるという家族観に立脚しています。
① 罪を犯した少年少女の保護者に対し、通学下校時の同行、夜間の自宅監視を命令する
② 命令違反は1000ポンド(約20万円)の罰金刑、罰金滞納は禁固刑とする
③ 親は子供が再び犯罪を犯したりしないように、また学校へ毎日登校するように
なるまで、最長12ヶ月間、カウンセリングやガイダンスへの参加を義務付ける
④ 加害者は被害者に対し、手紙での謝罪と物品の賠償を命じる
この法律は、親にとって大変厳しいもので、今の日本の世論では「国による責任の擦り付け」として論議すらできないかもしれません。
しかしながら、1988年から十数年に及ぶ改革を継続した結果、2001年、ブレア政権はついに「イギリス病克服宣言」を行います。この「イギリス病克服宣言」に関して、ブレア政権は「社会の結束」と題した報告書をまとめており、「特に教育政策において、イギリス国民とは何かの概念の確立が必要である。その概念とは、その国の歴史を通じ、全ての文化が国家の発展に貢献する事を理解し、その国に対しはっきりと忠誠を誓うことである」として、国民としてのアイデンティティと国家への忠誠心を養うことを学校教育の目的とすべきであると提案しました。2002年には中学校教育において「国家への帰属意識を高める」目的として「公民」という、日本の「公民」とは全く異なった内容の科目を新設しました。
「キリスト教」教育においても、1944年の教育法下では「社会的階級」というタイトルで、キリスト教における神に近い順番として
① 白人支配層
② アフリカ人と中国人奴隷
③ 絶滅するその他の民族(おそらく日本を含む)
と階級に分けることで、「人種差別を正当化する宗教」であると非難していました。これが改革後、中学校の国定教科書では「世界に多大な影響を与えてきたキリスト教」が説く人間のあるべき姿を示しています。
① 私たちはどこから来たのか → 神によって作られた特異な存在である
② 私たちはいかに生きるか → 貧困・奴隷・虐待・不正義を排除する活動に
尽力すべきである
③ 私たちはどこへ向かうのか → 聖書が描く新しい世界を希求する
これによって、それまでのイギリスは少年犯罪の多発が社会問題化していましたが、1988年の改革法で宗教教育を正しく行うことが決まると、年間約20万件起こっていた少年犯罪は徐々に数を減らし始め、1997年に子育て命令法が制定された後は10万件と半減しました。逆に、中学校の卒業試験で標準レベル以上の成績を修めた生徒の割合が、調査を始めた1955年には全体の10%しかいなかったのに対し、現在は50%へと上昇し全体的な教育レベルも向上しました。
イギリスは教育改革を国家戦略として進めることで、自信を持った国民が構成する国家へと変わりつつあり、競争が激しくなる一方の国際社会の中で再び浮上しようとしています。